福島第一原発20km警戒区域内での作業レポート


2012年のゴールデンウィーク明け、友人である山口功倫さんが、福島第一原発の20km圏内の警戒区域へ業務の調査のため足を踏み入れた。現場は1年以上立ち入りが制限されており復旧作業一切進んでいないため、3/11の大震災のままの姿が残されてしまっている。その警戒区域での活動の様子を聞かせてもらいました。
 
 
ーーーまずどういう経緯で警戒区域に行くことになったか教えてください。
警戒区域内のお寺の調査です。4月から公益目的での警戒区域への一時立入許可が下りるようになっていて。警戒区域内の事業所は届け出を出せば許可が下りるみたいです。(参考:浪江町ホームページ)ただし、線量計や防護服なんかは自分達で用意しました。

ーーー大まかなルートを教えてください。
いわき市側からJ-Villege側のゲートを抜けて6号線を北上して、双葉町のお寺、双葉駅の周辺、そこから南下して富岡町のお寺、富岡駅周辺、J-Villegeでスクリーニングを受けて戻ってきました。特に時間に縛りがあるわけではないみたいですけど、警戒区域内は2時間程度にしてくれと自治体からも言われているみたいで、かなり駆け足でした。

ーーー警戒区域内は人の気配とかはありましたか?
ずいぶん増えたって言ってました。警戒区域解除前は誰とも車一台すれ違わなかったらしくて本当に不気味だったと。私達が行った時はパトカー、トラック、作業員らしき人達が沢山乗っているバスなど走っていました。このバスはみんなヘルメット被ってマスクしているから何か学生運動みたいでしたが。あとは東芝の車とか。

ーーー警戒区域外から中に入って、何かガラッと変わりましたか?
入るときはタイベックススーツ着て車に乗ってゲートくぐってから、ちょっと手が震えるくらい緊張しましたよ。あんなに緊張したの久々です。それから段々線量が上がってくるし。普通の車とはすれ違わないし、信号は消えているか点滅、田んぼはそのまんま、地震で崩れた建物なんかもあの日のままだし。パッと見あまり変わらないですよ。ありがちな田舎の風景。ただ、時間が止まっている。途中にあった大手家電販売店は3月末のオープン予定だったらしいのですが、搬入済みの商品を根こそぎ盗賊に持って行かれたままだと聞きました。

ーーー線量はどうでしたか?ガイガーカウンター持っていったんですよね。
最高値は24μsv/hでした。40kmくらいで大熊町の6号線を走っている車の中でした。止まって地面の近くで計るともっと高いんでしょうね。6号線を北上していくと徐々に上がっていき、J-Villegeの辺りが0.4μsv/hくらいでした。地元の人はどこが線量高いかはちゃんと知っていて「エアコン止めますね」って言うと8μsv/hになって。そこから小数点が無くなって、18、19、20・・・と。
双葉町の僕らが行ったお寺は福島第一原発から近いのにそんなに線量高くないんですよ。0.8μsv/h。逆ホットスポットとか呼ばれていて。ただ、道路を渡って少し歩くと20μsv/hまで上がる。富岡町のお寺のほうが線量が高くて6μsv/h。こちらは瓦が落ちて雨漏りしちゃって、屋内がカビだらけになっていました。逆に屋内の線量が高くて10μsv/hありました。
新聞に毎日、各地の線量が掲載されるけど地元の人達は全く信用してないですね。線量の高い場所は知ってますから。発表の数値は線量の低いところを計ってるだけと言います。

ーーー除染して人が住めるようにするのは実感としてかなり難しいですよね。
そうですね。同じように瓦が落ちて屋内の線量が高い家屋が沢山あるでしょうし、家を全部壊してどければ線量は下がるかもしれないけど。まして木々が生い茂った山の除染なんてとんでもないですよ。
地元の人達も、帰れないだろうなとは分かっているけれども、国や自治体が方針を決めないことには引っ越し先も決められない。勝手に移転してもお金が出るか分からないですから。このまま時間が過ぎるとコミュニティの分断が止まらないと思いました。
例えば川内村は実際地元に帰るとしても今は役所とガソリンスタンドしかやってないみたいで。生まれた土地に帰りたいというのは分かるけど・・・スーパーやっていないし、他の人いないし・・・。年配の人は病院がやっていないと帰れないと言っていました。なんか感覚的で申し訳ないんだけど、ここがこれから人が住める場所にになるとは考えにくいです。

ーーー実際、避難してる人たちに話は聞けましたか?
避難している人達に話聞くと、この一年間はまるでジプシーみたいだって。一年間で3回も4回も移動していて。なんかトンネルを一生懸命走ってきたけど、抜けた先も真っ暗。先に進めている感じがしないと話していました。
福島のあと大船渡を見て思ったのが街に活気があるんですよ。大きい港や加工場があるから、福島に比べて復興が早いですよね。あの、ガン、ガーンとか工事の音がして、あの音を聞くと復興が進んでいる気持ちになるって言っていました。福島はまだ全然遅れている感じがする。
家族も奥さんだけ避難して、お父さんはそのまま原発で働いていたりとかでしょ。それでもお子さんのいる家庭は卒園とか卒業とかなると仲良くなった友達と卒業させてあげたいなとか考えますよね。「避難先が今決まりました、いわき市に」と言われてもそんなにポンポン移動できない。今でさえジプシーみたいになっているのに。
忘れないで欲しいなぁってことは何度も言われました。全く終わってないし進んでないし、どうしようもないんだよって。パチンコとかいっているのは事実だよ、でも行っちゃいますよねぇって。だってやることないんだもん。一年間何もしないで過ごすってなかなかできないじゃないですか。

ーーー行ってみてどうでしたか?
警戒区域内もパッと見変わらない印象を受けた。ありがちな田舎の風景だし。帰ってきてから少し考えたんですよ、何が違うんだろうって。防護服を着たりだとか、線量計が鳴っていたりだとか、そういう理由もあるでしょうけど。身体が何か感じているんだろうなと思いました。
岩手や宮城もそうですけど、町村毎やコミュニティ毎に抱えている事情が違いますよね。だから何かやっていくんであれば、どんどん深く入っていったほうがいいような気がしました。全体を捉えて何かやってあげたいというのは少し違うなと。細やかなところでの気配り。小さい単位になっていけばいくほど、良い支援ができるんじゃないかと思います。 マスコミからの情報は、大枠で捉えてあるから。それを別に悪いとは言わないけれども、それを見て何かをやりたいと思っても、実際にはあまりやりたいことが出来ないじゃないですか。自分と繋がりがあるところ、縁のあるところから、どんどん深く入っていったほうがいいと思います。それは福島にしても、宮城、岩手も。顔が見えるような関係性を作っていって。一度掴んだ繋がりは手放さないで欲しいです。

(フクシマノコト)
復興庁の発表によると2012年6月11日現在、福島県の避難指示区域から約11万人の人が避難している、福島県全域で見ると合計で16万人の人がいまだ避難生活を送っている。そんな現状が少しでも伝わればと思い、友人の協力のもとこのレポートをまとめました。
福島の人たちの問題が何も解決していない中、私たちの国は原子力発電所の再稼働を進めている。震災から1年以上たった今でも何も状況が変わらず苦しんでいる人たちがいる。現在でも16万人もの人たちが避難生活を送っていることを忘れないで欲しい。こんな状況のなか、どうして原子力発電所をまた使おうと言い出せるのか?それでもあきらめず根気よく理解を広めていくしかないのだろう。言い続けていかなければならないのだろうと思います。

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