6/29(金)総理大臣官邸前大飯原発再稼働反対デモに参加して



 
6/28(木)総理大臣官邸前 大飯原発再稼働反対デモに参加した。開始予定時間の18時頃に到着すると、すでにたくさんの人が集まっている。団体で参加している人たちもいるが、個人で参加している人も多いなと感じる。
私自身もデモへの参加は初めてだったので知らなかったが、通常は組合や団体の旗が立ち並ぶらしい。でも今回はほとんど無かった。みんな個人が作ったプラカードや看板を掲げている。個人が個人として集まった純粋な意味でのデモだったと言えよう。
みんなやり場のない想いが集結し、このようなたくさんの人が集まったのだろう。

ただ現場でこの声が届くののだろうかとすごく考えてしまった。市民の声を届けるには、もちろん選挙という方法があるが、それでもデモは限られた有効な方法の一つだろう。これだけの人間が同じテーマに対して集まり声をあげているのだから、たとえ今回の声が直接届いて無かったとしても、今回の行動で何かしらの軌跡は残せたはずだと信じたい。少なくてもここに参加した人は何かしらの意識を共有できたと思うし、いろいろな気持ちを持って帰ったと思う。かりに自分はそうだった。それがまた近くの人に広がっていけば、さらに意識が広がる可能性をもっていると思う。

話変わるが、デモ参加者の中に野田降ろしをアピールする人もいたが、個人的にはあまり意味のある事とは思えなかった。野田を下ろしても大して変わらない別の人が総理大臣になり、原発もいまと同じように動いていくだけだと思う。原発再稼働は総理大臣が決めたことではなく民意が決めたことだと今でも思っている。再稼働に反対する人がこのデモに集まった人たちのようたくさんいるけど、それ以上に賛成する人、もしくは何も言わず結果的に認めてしまっている人が過半数を超えているのだろうと思っている。総理大臣にそんな大きな期待をしていない。別に権力を持った独裁者ではないし、民意に動かされて行動する学級委員長ぐらいにしか思っていないから、批判するに値しないということだ。
それよりも経済のために仕方なくイエスといってしまっている人たち、また何も考えず何も言わずに結果的に認めている人たち、その人達の考えが変わって行かなければ、エネルギー問題は進展しないだろうと思う。

もちろん原子力村の利権構造もあるのだろうと思う。その存在も無視はできないけど、いつもその事を考えると話しはどこにも進まないし明るい考えが何か出てきた試しがない。ただ怒って終わり。同じ土俵で権力のあるものと権力のないものという構造で考えても何も生まれないと思う。別にやつらを認めているわけではないが、それよりも他に違うベクトルで考える事、やることはたくさんあるではないかとも思う。

また同時に原子力発電が無くなった時の生活についても、みんなでもっと真剣に考える必要があるとも思った。原発が無くても電気は足りている…という議論をする気はない。単純に考えても必要な電気を生むために原発はつくられたはずだし、それが無くなれば電気を安定供給していくのは難しくなるであろう。しかし電気が少なくなっても、電力不足で経済が何かしらの下降をたどる事があっても、それを受け入れる覚悟を持っていかなければならないと思う。別に原発を推奨しているわけではない。かりにエスカレーターが動かなくてもエアコンが動かなくても、そういうことではない別の幸せはあるはずだし、つい数十年前まではそんな生活を送っていたはずだ。
原発事故の除染など後処理や、避難している住民の援助、人々の健康や生活に対する不安を解消すること考えたら、実際、原発が無くなる事により失業する人を援助したり、すべての病院に緊急用の送電や電源を配備するほうが簡単ではないかとも思うがどうなんだろうか…。
原発はいらない、でも電気は無尽蔵に使いたい、それでは話にならない。原発を止める代償を覚悟し、新しい生活を考えて行かなければいけないと思う。自分を含めそんな覚悟を持ってこの問題を考えることができれば初めて原発のない社会が生まれるような気がする。

たとえ今までの生活ができないようになっても、新しい価値観のなかで原発のない社会をつくっていきたいと思う。それはけっしてネガティブな発想ではなく、新しく大きいポジティブな転換だと考える。電気の有無にかかわらず、そんな転換ができたら素晴らしい事ではないかとも思う。

とにかく市民のこれだけの声が集結したのは事実だ。これはすごく大きな事だと思う。もしこの声が聞こえない、聞こうとしないのであれば、もっともっと規模を広げ人数を5倍、10倍にして声を上げるしかないのだろうか…。とにかくこの想いを近くの人達にもっともっと伝えていかなければいけないだろうと思った。

繰り返しになるが福島県からは16万人の人が家に住むことができなくなり、今でも避難生活を送っている。原子力発電を使うことがどんな結果を招きそれに対して誰も責任をとれていないという事実を忘れずに考え続けていきたいと思う。

カテゴリー: プロジェクト   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です